交響曲第一番「たんぽぽ」
Symphony No.1 "Tanpopo"
楽曲について
交響曲第一番「たんぽぽ」は2017年の作品です。2管編成の管弦楽のための全4楽章、特殊楽器は用いません。物語は私のオリジナルで、既存の説話や童話に拠ったものではありません。
一輪のたんぽぽが人間に憧れる。その憧れが、長い時間をかけて彼女を別のものへと変えていく——そういう話です。
各楽章
第一楽章 たんぽぽ 変ホ長調 4/4拍子 四分音符=128〜130
野に咲くたんぽぽの精。ソナタ形式で、第一主題は自然が世界を謳歌する姿、第二主題は地道に続いていく人の営みを書いています。
展開部では、その第一主題が人の争いとして展開されます。嬰ヘ短調で殴りつけるように現れるこの部分が、人の営みの陰にあたります。彼女が見たのは、美しいものだけではありませんでした。
それでも彼女は、その清濁をまとめて飲み込んだ上で人に共感し、人に至る道を志します。この楽章は、彼女がなぜ人間に憧れたのかを書いた楽章です。
第二楽章 地蔵 ヘ長調 2/4拍子 四分音符=50〜54
道端の地蔵になった彼女。稲の実る田のほとりで、千年のあいだ祈り続けます。
耕し、植え、刈り取り、また耕す。人の営みはそうして同じかたちで繰り返されていきます。彼女はそれを、一歩も動かずに千年見守り続けました。第一楽章で人に憧れ、共感した彼女が、ここで真に人間を理解する道を示されることになります。
動かないものの楽章です。四分音符=50から54、歩くよりも遅い速度で、ただ時間だけが過ぎていきます。
第三楽章 人間へ イ短調 6/8拍子 付点四分音符=80 スケルツォ=ロンド
願いは叶い、彼女は人間に生まれ変わります。ただしその場所は、二十一世紀の現代でした。ビルに囲まれた街で、書類を抱えて空を見上げている。憧れて辿り着いた先が、ここです。
スケルツォとロンドを掛け合わせた楽章です。トリルのように細かく動くイ短調の主題が、この楽章の落ち着かなさを担っています。全体は2拍子系の6/8で進み、ロンド主題も弥勒へ至る動機も、その拍の上に乗ります。ただしコーダに入る直前の一箇所だけ、同じ6/8を2-2-2に割り直して3拍子系に転じます。拍の数は変わらないまま、割り方だけが切り替わる。楽章を閉じるための、ひと息分の仕掛けです。
第四楽章 弥勒へ 変ホ長調 6/8拍子 付点四分音符=100〜110
雲の切れ間から射す光の中へ。第二主題を欠いたソナタ形式で書かれています。
弥勒動機と構造
この曲には全楽章を貫いて現れる一つの動機があり、「弥勒へ至る動機」と呼んでいます。チャイコフスキーの交響曲第五番における運命の動機と同じ役割を担うもので、たんぽぽとして咲いている第一楽章から、すでにこの動機は鳴っています。彼女がまだ何も知らない時点で、行き先だけは決まっていたということでもあります。
第四楽章の第一主題は、この動機を出発点にしています。バッハが《フーガの技法》の鏡像フーガで用いた逆行反行形——主題の時間の向きを逆にし、音程の上下も反転させる手法——をもとに、さらに手を加えたものです。厳密な鏡像にはなっていませんが、下降していた音型が上昇へと裏返り、始まりと終わりが同じ音で閉じる点は保たれています。
そしてこの裏返り自体を、曲中で聴かせる仕掛けを置きました。展開部から再現部へ向かう経過句で、下降形がそのまま上昇形へと転じていく過程が現れます。チャイコフスキーが弦楽セレナーデの終楽章で用いたのと同じ手口です。至ろうとしてきた音型が、至り着いた場所で反転する——その瞬間だけを取り出して、聴き手の前に置いたことになります。
そして本来なら第二主題が置かれるはずの位置に、この楽章は何も持ちません。代わりに、第一楽章から第三楽章までの主題が再現され、展開されていきます。たんぽぽであった記憶、地蔵として千年立っていた時間、現代の街で生きた日々——それらがここで一度に展開され、第四楽章の展開部を形づくります。
この設計によって、終楽章は自身のソナタ形式を成立させながら、同時に交響曲全体の展開部とコーダを兼ねることになります。四つの楽章を順に並べた組曲ではなく、最後の楽章がそれまでのすべてを引き受けて閉じる——構造としてはそれを狙いました。
第一楽章と第四楽章は、ともに変ホ長調。たんぽぽとして咲いていた調に、弥勒として還ってきます。
作曲:落葉剛 イラスト:ハクノ